離婚歴10年、年子の男兄弟を育てています。次男が発達障害であるADHDです。日々、色々な方法を試しながら格闘中。
みなさんは「発達障害」と聞いてどんなイメージがありますか?実は、私自身は息子ができるまで発達障害に対して、漠然としたイメージしか持っていませんでした。発達障害は知的障害や身体障害など、目に見えてわかる障害とは違い、なかなか理解してもらいにくい障害です。本人や家族に原因であるわけではないのに「しつけがなってない」などと世間から白い目で見られることが多いように思います。
他の障害にも色々な種類があるように、発達障害にもいくつかの種類があります。例えば、自閉症スペクトラム・ADHD・高次脳機能障害などが発達障害として挙げられます。
次男は誕生時3200グラムを超える当時は普通より少し大きめの赤ちゃんでした。少し黄疸が強く、光線療法を2回程行ったのを覚えています。その後は、長男に比べてよく眠り手がかからない子供だな~と感じながら育てていました。ハイハイを始めたのは10か月を過ぎたあたり。歩き始めたのは1歳を過ぎてからでした。実は長男も歩き始めたのは1歳2か月を過ぎてからだったので、遅いとはあまり感じませんでした。
次男が6か月から保育園に預け、仕事に復帰していたのですが、次男が1歳半を過ぎる頃の保育園の運動会にて「おや?」と思うことがありました。園児たちがそれぞれ整列しているのに、次男は先生に手を繋がれていたのです。最初は「まだ幼いからかな」と思っていましたが、次の瞬間その考えは違うものだとわかりました。
次男は先生の手を振り切ると、その場からダッシュで逃げていくのです。何度も捕まえられる姿に「もしかして他の子と違うのかも?」と考えました。しかし、その時は特に深く考えずに「落ち着きのない子だな」と思っていました。
その後、離婚することになり実家に引っ越しし、新しく地元の保育園に転園しました。そのときの担任の先生から「お母さんが気になるなら」としきりに病院に行くことを促すような事を何度も言われ、年長時にはその促しも更に多くなり「うちの息子は違う!」と思いながらそれを証明するために病院の門を叩きました。
次男と初めて児童精神科を訪ねた時、待合室にはまだ幼い子や中学生位の子など様々な年齢層の子たちがいました。次男は落ち着きなさそうに、モゾモゾと動いていました。その頃の次男は落ち着きはないものの、本を読むことや自分の好きなことに集中する力はありました。また、人見知りもなく動きが活発で、考え方は小学生低学年のような感じでした。時間はかかるものの、翌日の準備や着替え、食事の片付けなども自分の事を自分でやり、私自身は障害があるとはとても考えられませんでした。
診察室に呼ばれ、医者と対面し話を聞くと、「ADHDの疑い」という診断がくだされました。私に抵抗が若干なりともあるというのを医者は見抜いていたんでしょうね。
突然の診断名で内容もよくわからない。そんな私にのちの主治医になる医者は、私たち親子の地元で通えるように手続きをしてくれました。
自宅に帰宅してから数々の文献を調べました。障害の内容・薬について・対処の仕方…ネットでの調べに加え、本も購入しました。
読めば読むほどに、次男は障害児なのだと実感しそれとともに、育て方やしつけが悪いわけではないのは理解できましたが、逆に「私の産み方が悪かったのか」と次男に申し訳ない気持ちになり、悩むことが増えました。
しかし、それはある友人の言葉で救われます。
次男の障害について一人で悩み塞ぎ込んでいたいた私に、友人は「じゃあ次男は失敗作だと思っているの?」と問い掛けました。「そんなこと思ったこともない」と答えると、「なら、産み方が悪いと思う必要ないでしょ?次男君は人より個性を持って産まれてきたんだから」と言ってくれました。
その言葉を聞いて、私は次男とともに前を向いて歩むことを決めたのです。
小学校に入学するためには事前に、就学時健診というものがあります。その時から私は次男について包み隠さず、保健師さんに相談していました。もちろん、1日入学でも相談をしました。次男の場合、知的障害を伴わないケースの障害でしたので特別支援学級には該当しませんでした。そのため、例外ではありましたが1年生から通級という体制を1日1時間設けてもらえることになりました。
実際低学年の頃は、教室に居ることが難しく補助の先生が次男につきっきりになることもあり保護者の方から非難を受ける事もありました。しかし、特別支援学級に該当しない次男には普通学級に在籍する以外に手立てはありませんでした。
そのため、なかなか同級生とうまく関われず毎日学校から連絡が来て、相手の保護者に謝罪することがとても多く、電話が鳴るたびに「次は何を言われるのだろう」とビクビクした生活をしていました。
4年生になると、同級生と明らかに情緒面で差がつき始めます。そこからいじめに発展し靴を隠されたり、暴力・暴言を言われたり学用品の盗難にあったりもしました。時には担任からも無視されたり、足を持って引きずられるような行為をうけたりもしました。そのたびに学校に行き、解決に向けて動きましたがこの1年は親子ともに苦しかったです。
しかし、5年生になると少しずつ変化が出始めたのです。
それは、担任が以前受け持っていただいた男性教諭に変わり次男が担任を信頼できた事と、次男も成長し何かあっても手を出さず解決に向かおうとすることで、次男を信頼してくれる友人が出来たからでした。
現在、次男は6年生になり日々学校に行くことを楽しみにしています。しかし、いじめ自体は全くなくなったわけではありません。けれども次男は「昔、自分がみんなを傷付けてしまっていたから」と以前の自分を受け止め、そこから現在の自分を受け入れてもらえるように頑張っています。
また、兄が中学受験し合格した姿を見て、自分もやってみたい!と言い出すまでになりました。私としては応援する反面、こちらから急かすと苦しくなるのが目に見えてるので、次男のやりたいように受験の体制は整えつつゆったりと見守っています。まだ決めかねているようですが、「受験で不合格になったからといって、次男がだめなわけじゃないしやれるだけ頑張ったらいいよ」と声をかけています。
いかがでしたでしょうか?
発達障害は一人一人内容に違いがあります。しかしだからといって何も出来ない訳ではありません。子供たちは少しずつ確実に成長し、たまに定型発達の子供たちとは違う観点でものを見ています。私はこの部分がとても好きです。
その子に合った療育の仕方で、個性の輝きが違います。
次回は私たち親子がどんな療育をしたのかをまとめたいと思います。
発達障害児を抱える悩めるシングルマザーが少しでもホッとしていただけたら幸いです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。