子供が2歳の時に離婚して、約7年間シングルマザーとして子供と2人で生活しました。その後縁あっていまの夫と再婚しました。モットーは「何事も何とかなる」です。
結婚前から一抹の不安があった男性と結婚をしてしまった私自身が、シングルマザーになるまでの詳細の記録です。シングルマザーになるまでの心の動きや、物理的に必要なこと、シングルマザーになると決めた時の覚悟など、同じような環境に置かれている人に役に立てばと思います。
私はシングルマザーになるまで、数年の結婚生活を経験しました。その中でほとんど、夫婦という幸せを味わうことはできませんでした。思い起こしても、辛い経験が多かったと言えます。結婚する前は、自分の好きになった男性と家庭を築いて幸せになるんだと漠然と信じていました。しかし結婚とはそんな甘い物ではなく、苦労するために結婚という制度が存在するのではないかと思うほどでした。
辛いのであればさっさと離婚すればと思うのですが、子供が生まれて「子供と夫と3人でやり直して幸せになりたい」といつまでも願ってしまいました。しかし夫は家にもよりつかず、時々着替えに帰ってくるだけで、気に入らない時は私と子供は義実家や実家に追い出されました。結婚して一緒に暮らした時間より、別居していた時間の方が長いかもしれません。そんな結婚生活を送っていました。
私のそもそもの失敗は、結婚に不向きな男性と結婚してしまったことでした。元夫はバツイチで、真面目か不真面目かで区別するならば、不真面目な人だったといえます。私の父親は結婚に反対はしませんでしたが、嫌っているのがわかるほどでした。しかし若かった私は、自分の選んだ相手に間違いはないと勘違いをして、親があまり乗り気でないのに結婚してしまいました。
元夫は恋愛している時からモテる人でした。とはいえ、浮気を疑ったことはありませんでした。浮気を疑い始めたのは、妊娠中にラブホテルのマッチを持っている所を見てからです。その時は「友人にもらった。浮気して堂々とラブホテルのマッチを持って帰ってくるバカはいない」という夫の言葉を半信半疑に受け入れました。
しかしその疑いは、里帰り出産をして自宅に帰宅した後確信に変わりました。まず他の女性を自宅に招き入れた形跡があちこちにあったのです。ベッドにも浴室にもリビングにも、痕跡が残り過ぎていました。しかし元夫は浮気を認めないし、部屋に他人を招き入れたことすら否定しました。
浮気を否定する元夫との関係性は、日に日に悪くなっていきました。それに伴い、生活費を少しずつ減らされるようになっていきます。元夫は自営業でした。最初は毎月15万円から20万円を生活費として受け取っていましたが、最終的に10万円まで減らされました。10万円で食費・光熱費・携帯代・保険代・子供のおむつなどの雑費をやりくりすることはなかなか大変でした。
結婚期間中に、何度も離婚という言葉が頭をよぎりました。浮気をされてプライドはズタズタになり、不信感だけ増す状態で結婚生活を維持することは無理だと考えていました。しかし、当時私は結婚と同時に専業主婦になっていたため、社会に出ることが非常に怖くなっていました。それこそ浦島太郎状態になっていて、再び働くことができるのか、社会に適応していけるのか非常に不安でした。そんな私が子供を一人で育てていけるのかはもっと不安でした。
しかし、悩んだ結果シングルマザーになることを選択しました。その理由は意外にもあっけないものでした。
ある日、姑から怒って電話がありました。姑宛てに警察から駐車違反の違反切符が届いたとの内容です。当時元夫がしばしば姑の車を借りていたため、元夫が姑の車で駐車違反をしたのだとすぐにわかりましたが、問題は違反切符が切られた住所でした。その住所は問題の浮気相手の住む住所だったのです。
正直「まだ続いているのか」という気持ちもありましたが、それよりも浮気相手先で駐車違反をしたことにより、私が姑に叱られる理不尽さに腹が立ちました。その瞬間自分の中で張り詰めていた何かが切れたのです。「ああ、もういいや。離婚しよう」と。
シングルマザーを選択しようと決めたもう一つの理由は、元夫の暴力行為です。元ヤンキーらしく、一言で言えば柄の悪い人でした。そんな元夫が外で他人と喧嘩をして暴力をふるって帰ってきました。それを誇らしげに語るのです。警察沙汰にならなかったからよいものを、万一警察沙汰にでもなれば、子供は犯罪者の子供になってしまいます。今後そのようなことが起こらない保証もありません。
生活費が少なくても、浮気する男であっても、子供にとって必要な父親であれば一緒にやっていこうと考えていました。しかし、犯罪めいた行為は言語道断でした。
駐車違反と暴力行為が同時期に起き、さすがに私の生き方とは相入れないと思いました。子供にとっても百害あって一利なしだと判断し、離婚を決意したのです。
シングルマザーになる覚悟をしてから、まず子供と離れる覚悟を決めました。離れると言っても、保育園に入れるということです。結婚している間は、元夫の希望で専業主婦で子育て中心の生活ですが、離婚をしてしまえば自分が稼がなければなりません。結婚しているのであれば子供と四六時中一緒に居ることができました。子供と一緒に居ることが普通になってしまい、まだ小さい子供を保育園に預けるのは辛かったのですが、慣らす意味でも保育園探しを始めました。
シングルマザーになることで一番怖かったことが、社会復帰です。数年仕事を辞めて家にこもっているだけで、社会に戻って働ける気が全くしなくなっていました。再び就職活動をして果たして雇ってもらえるのか、昔のように仕事ができるのか不安で仕方ありませんでした。
不安でも、社会復帰して正社員になれるまでに戻らなければいけません。そのため、まずはパートから始めました。まだ別れる前だったので、パートの給料でも何とか生活がやっていけるので、パソコンの使い方や接客など、忘れている社会人として必要なスキルを思い出し増やしていきました。
シングルマザーになるにはお金がかかります。今住んでいる家は、家賃が高くて住み続けられません。もっと家賃が安い家に移るための貯金が必要でした。他にも必要なものがどれほどあるのかわからない以上、貯金をしていくことが大事だと思いました。そのため、節約に節約をし、最初は時短から始めたパートをフルタイムにしてもらい、パートの給料は出来る限り貯めていけるように努力しました。
シングルマザーになってよかったことは、まず第一に精神的な負担が軽くなったことです。夫の顔色を伺わず、喧嘩をする必要もなく、信用できない人も信用しようとする労力を使う必要がなくなったことです。
精神的負担が軽くなったことで、自分自身いつも穏やかにしていられるようになりました。子供もどこかで私のイライラを感じていたはずなので、穏やかに過ごす毎日は子供にとって良い傾向だと思いました。
私自身に余裕ができると、仕事で余裕がなくても子供と接する時は笑顔でいられるようになりました。ずっと笑顔のつもりでも、実は難しい顔をして育児をしていたかもしれません。子供と遊んであげる時間は減ってしまいましたが、一緒に遊ぶ時間は精一杯楽しむように心がけていました。
シングルマザーで大変だったことは、正社員を目指す際に面接で落とされ続けたことです。ひとり親の上に子供はまだ小さいとなると、あまり企業に歓迎されません。私が離婚したのは今より少し前だったので、今より一段とシングルマザーを避ける傾向は強かったかもしれません。しかし、現在もそういった傾向は会社によって残っているのではないでしょうか。
シングルマザーで就職した会社は、事務職としては給料がかなり良い会社でした。しかし、節約をしても色々と子供のことでも自分のことでもお金が飛んで行ってしまいます。給料日前はなかなかのお金のなさでした。給料日前でなくとも、常にお金がない気持ちになってしまい、お金に関しては余裕が全くなかったと言えます。
子供が病気になっても、なかなか仕事が休めないことがシングルマザーの辛いところでした。会社を休むことでクビを切られるのではないかという恐怖感と、何年も戦っていたと思います。幸い私は車で1時間ほどの所に実母が暮らしていたので、病気の時は仕事前の朝に実家に子供を連れて行ってお願いできました。実母がいたので、何とかシングルマザーもやってこられたと言えます。
近くに頼れる人がいない場合は、病児後保育やファミリーサポートを頼むという手もあります。実母の都合が悪い時のために、私も登録をしていました。特にファミリーサポートは、保育園や大きくなって学童に入った際のお迎えなど、さまざまなことで助けてもらえます。ファミリーサポートには登録しておいても損はないでしょう。
子供にとって何が正解かわからず、離婚については何年も悩みました。子供に必要な父親であれば、自分の気持ちは度外視で結婚生活を維持するべきだとも考えました。しかし、ある時感じることがあるはずです。「親が不幸な結婚は、間違いなく子供も不幸だ」と。親が泣いたり情緒不安定になったり、笑わなかったり喧嘩ばかりしたりするようでは、子供は安心して生きていくことができないはずです。
子供のために私ができることは、あまり裕福でなくとも笑顔で笑いながらバカ話ができて、不必要なストレスのない、不法行為などと無縁の家にすることです。コツコツと真面目に働いて、時々贅沢をして、子供と楽しみながら幸せな家にしてきたいと思います。