29歳のときに夫のDVが原因で離婚し、当時3歳だった子供と2人の生活がスタート。今は一般企業で事務の仕事をする傍ら、副業でライターの仕事もしています。
私が夫と離婚した理由は、夫のDVとモラハラでした。
お酒を飲むと人が変わるように、高圧的な態度をとる夫。いつも私を見下していて、少しでも反抗しようものなら、大声を出す&物にあたる&ときには手も出す。
そんな夫との生活に耐えきれなくなり、私は離婚を決意しました。
夫は口癖のように「別れようか?」「いつでも離婚したるで?」と離婚を匂わせる発言をしていました。それまでは「子供のために・・・」と我慢していた私でしたが、何を言っても話が通じない夫に、ついに私から離婚を切り出します。
「お願いです。離婚してください。」
いつも離婚を匂わせていた夫。きっとすぐに同意してくれるだろう。
そう考えていた私は甘かったようです。
私から離婚を切り出された夫は徐々に顔色が変わっていき、いつものヤバイ夫になるのが分かりました。
「お前、本気で考えているのか!?誰のおかげで生活できてると思ってるねん。お前のせいで、この子を片親にさせるつもりか?お前は本当に、最低な母親だな。お前みたいな母親に育てられるこの子が可愛そうだわ。今ならまだ許してやるから、今ここで謝れ。謝ったら、お前の発言は忘れてやる。」
私がなぜ離婚したいと思ってるのか理由を聞いたり、話し合ったり、そんな隙間は全くなく私を攻め続けます。
「いつでも離婚するって言ってたじゃないですか。もう私は限界なんです。お願いだから離婚してください。」
私も一歩も譲りません。
「いつまでそんなバカなこと言ってるねん。もう一度言うぞ。今すぐ謝れ。お前ならこの意味が分かるよな?母親として、妻として、どうするべきか考えろ。」
もうこの人には何を言ってもダメだ。私はこの人と一緒にいる限り、人間らしく生きることはできない。そう確信した瞬間でした。
私が離婚を切り出した夜、その日はまったく話がまとまりませんでした。そもそも話が通じないのです。私の話を聞こうとも、自分のこれまでの行為を振り返ろうともせず、「今すぐ謝れ」と言うのみでした。
次の日、私は子供をつれて家を出ました。
私は当時3歳だった子供と一緒に実家がある九州へ帰りました。夫が仕事に行っているスキに。
夫には何も言わずに子供を連れて家を出たことは良かったのかどうか、今でも分かりません。夫婦での話し合いを放棄したのですから。でも前日の状態を考えて、「2人で話し合うことは不可能」と判断しました。
また暴力を振るわれるかもしれない。怖い。
そういう精神状態で一緒に暮らすことは難しいと思ったのです。
実家の両親は私たちを快く迎えてくれました。夫と結婚してから、年に1回も実家には帰れていなかったので(夫が帰らせてくれなかった)、両親も心配してくれていたようです。帰る前に両親に連絡したときも、「そうかそうか。いつでも帰っておいで。」と言ってくれたことが何よりもの救いでした。
実家に帰った瞬間、結婚生活中には感じられなかった「安心感」があることに気づいた私。「これが普通の状態なんだ」と思えた瞬間、夫との結婚生活はやはり異常なものだったと分かりました。
問題は夫です。日中は仕事に行っているため、私が家を出たことには気づいていません。夜、家に帰ってきたら夫はどうするだろう?ハラハラソワソワした感覚は今でも覚えています。
そして夜になり、夫が家に帰宅する時間。私の携帯に1通のメッセージが届きます。
「おい、お前。何をしたか分かっているのか。お前は子供を誘拐したんだぞ。誘拐って犯罪だよな。たとえ夫婦であっても、相手の同意なしに子供を連れ出すことは許されない。俺はお前を許さないからな。」
どこまでも私を責める夫。私の恐怖心を煽る言葉を投げつける。それがあの人の常套手段です。今だからこそ、こうやって私も話せますが、当時は恐怖そのものでした。
「どうしよう、私、取り返しのつかないことをしたのかな?今度は夫に何をされるんだろう?」
冷静な判断はできない状態になっていました。
次の日は土曜日。夫の仕事は休みです。「もしかしたら夫が九州まで来るのではないか?」と思っていた私の予感は的中しました。
昼過ぎに実家のインターホンがなりました。「お義父さん、お義母さん、ご無沙汰しています。◯◯です。」インターホン越しに聞こえる夫の声は「よそゆきの声」でした。
両親がドアを開け、夫を玄関に迎え入れます。私はリビングにいたため、その時の夫の顔は見ていませんが、「すみません、◯◯(私)と◯◯(子供)がお世話になってます。ちょっとした夫婦喧嘩でご迷惑をおかけして、お恥ずかしい限りです。」と話しているのが聞こえてきました。
「なにがちょっとした夫婦喧嘩だよ」と内心思っていた私。そして後から聞いたのですが、事情を知っていた両親もこれが夫の表の顔だということは分かっていたそうです。
その後、リビングに入ってきた夫と目を合わせることなく、両親も交えて話し合いが始まりました。ちなみに3歳の娘は私の側にピッタリくっつき、父親である夫のところに寄っていこうともしませんでした。
話し合いは両親が進めてくれました。私から聞いた話の事実を夫にも確認するような形です。
父:「娘からは日常的に言葉の暴力があると聞いているが、どうだろうか?」
夫:「いえいえ、そんなつもりはありませんよ。僕はもともと言葉がきれいなほうではないので、娘さんにはそう聞こえたのかもしれませんが。」
父:「でも、この前は娘を殴ったそうだね?それはさすがに行き過ぎじゃないかな?」
夫:「はい、それは反省しています。どんな理由があっても手を出すべきではありませんでした。」
私:「でもそれ以降も、私に対する態度は変わってないよね?何かあるといつも私を罵って。私が悪いと責めたり、土下座させたり。それって普通じゃないよね?」
夫:「普通って何?夫婦の形はいろいろだろう。僕たちなりの夫婦の形をつくっていけばいいじゃないか。」
母:「◯◯さん(夫)、確かに夫婦の形はいろいろあるよね。決まりなんてないと思うわよ。でもね、娘から聞いているあなたたちの形は、完全に娘の立ち位置がおかしいと思うのよ。娘はいつもあなたの顔色をうかがって、あなたを怒らせないようにってしているわ。何かあるといつも娘が謝って。ときには土下座をするこもあるんでしょう?夫婦の形はいろいろっていうけど、私は親として、娘がこんなに苦しんでいる状態を続けていくなんて耐えられないのよ。」
母の言葉を聞いたとき私は涙が止まりませんでした。今まで誰にも言えなかった私の気持ちを母が代弁してくれたのです。「分かってくれる人がいるんだ」そう思えた瞬間、今まで抑えていたものが全て放たれたようでした。それでも夫は続けます。
夫:「あのー、娘さんの気持ちって言いますけど、娘さんも大人ですよね?いい大人なら、自分で言ったらいいじゃないですか。この歳にもなって、両親に頼るって。普段から言ってくれていたら、僕だって分かったかもしれないのに。」
この夫の言葉を聞いたとたん、少しのあいだ黙っていた父が再び口を開きます。
父:「自分で言ったらいいだと?そういう環境を君はつくらせてこなかったんだろう?娘が何か話そうとしても、一方的に娘を責める。そんな生活が何年も続いてみろ。言いたいことも言えないようになるのは当然だよな。娘は妻になって、母になって、その都度がんばってきたんだ。友達や家族とも会わせてもらえない生活のなかで、自分ひとりですべて抱えてきたんだ。娘の気持ちを封じてきたのは君だぞ。」
父のこの言葉に何も言い返せなくなった夫。この日の話し合いはここで終了します。夫は娘に一度も触れることもなく(触れようともせず)、実家を去りました。
夫が出ていった後、私は両親にお礼を言います。
「今まで辛かったな。気づいてあげられずごめんな。◯◯くん(夫)と話してみて、私たちも難しいんだろうなということは十分、分かったよ。」とどこまでも私の味方でいてくれる両親に再び涙があふれてきました。
その後、私は仕事もあるので一度、関東に戻ります。でも夫が住む家には戻らず、事情を説明して友人の家にお世話になっていました。
友人には私の娘と同じ年の子供がいます。そして素敵な旦那さんもいます。この友人と旦那さんも快く私たちを迎え入れてくれました。2人のやり取りを見ていると、「こういう夫婦になりたかった」と思えるくらい、本当に素敵な夫婦です。
関東に戻ったのには仕事以外に理由がありました。それは夫と離婚の話し合いをするために。とはいえ2人では話し合いにならないと思ったので、知り合いの弁護士に同席してもらいました。
話し合いはとあるカフェで行われました。常連客と思われる方がチラホラいるくらいの、小さくて静かなカフェです。私と弁護士さんが横並びに座り、弁護士さんの向かい側に夫が座ります。
話し合いは弁護士さんが中心となって進めてくれました。「奥さまはあなたとの離婚を望まれていますが、どうですか?」という弁護士さんの質問に思いもよらぬ回答が。
「親権を譲ってくれるなら離婚してもいいですよ」
一瞬、耳を疑いました。だって、家事はおろか、子育てもロクにしたことがない夫が親権を譲ってくれって?娘が生まれてからオムツを替えたことがあるのも数回ていど。せっかくの休日もパチンコに行ってしまうような夫が。
でも私には夫の発言の意図は分かっていました。「親権がほしい」と言えば、私は離婚しないだろうと思っていたからです。私が娘と離れ離れに暮らす道など選択するはずがない、夫はそう思っていたのです。だから続く夫の言葉も理解できました。
「だって、僕のほうがコイツより数百万円も稼いでるんですよ。娘がどっちと一緒になったほうが幸せか分かりますよね。」
しかし弁護士さんもバカじゃありません。
「そうですね、金額だけでいえば収入はご主人のほうが多いですよね。ただし、奥さまはお仕事にも就かれていますし、お子さんと2人で生活していくうえでは問題ない収入を得ていらっしゃいます。収入の差は親権を判断するうえでさほど大きな問題ではありません。判断材料となるのは、お子さんの年齢、これまでの子育ての実績、生活態度、養育していく能力があるかどうかです。その点においては、奥さまからもお話はうかがっています。」
そして私から事前に聞いていたこれまでの養育歴に関する資料などを弁護士さんが提示します。自分に勝ち目はないと思ったのか、この後、夫はあっさり離婚に同意することになりました。
私の不安はよそに、その日のうちにあっさり離婚に同意した夫。ただし、離婚条件をまとめたり、公正証書を作成したりと、その後も話し合いの場を設ける必要があると弁護士さんが伝えます。
すると夫が最後に口にしたのはこうでした。
「なんでもいいけど、できるだけ話し合いの回数は少なくしてね。俺も忙しいからさ。」
確かに離婚の話し合いなんて、好んでしたくはないですよね。でも、最終的に求めることがそれなの?と私は完全に呆れてしまいました。今までの苦労はなんだったのか?苦しんで暮らしていた数年間はなんだったのか?私は呆れて何も言えませんでした。
離婚は体力的にも、精神的にも、本当に労力がかかります。私の場合は思っていたよりもスムーズに話がまとまりましたが、なかには1年以上も話がまとまらない場合も。そんな時、どうしても途中で心が折れてしまいそうになります。
いっそのこと、元に戻ったほうがいいんじゃないか?
相手の条件を受け入れたほうが楽なんじゃないか?
家庭の数だけいろんな状況があるため、何が良くて何が悪いとは一概に言えませんが、離婚すると決意したのであればタフさは必要です。
なぜ離婚したいと思ったのか?
どんな生活を望んで離婚するのか?
このあたりが分からなくなってしまうと、方向性を見失ってしまいます。
また、すべてを一人で解決しようとしないことも大切です。私のように専門家にお願いをするのか、信頼できる第三者に入ってもらうのか。お互いが冷静な判断のもと話し合いを行うことで、女性が泣き寝入りする状況は減ります。
家族の形はたくさんあるように、幸せの形もたくさんあったほうがいい。私はそう思っています。
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