離婚歴12年のシングルマザー。現在は反抗期を迎えた娘に手を焼きつつ、仕事も趣味も恋も楽しんでいます。
私が離婚をしたのは12年前のことです。当時、私は26歳、子供は1歳。妊娠中にそれまで勤めていた百貨店の美容部員の仕事を退職していたため、離婚当時の私は無職でした。離婚と同時に実家へ戻り、子供を預ける保育園と自分が働く職場を探しました。幸い保育園も仕事もすぐに決まりましたが、働き始めて2ヶ月した頃に子供がウィルス性の病気にかかり入院することになりました。1歳ということもあり親の付き添いが必須。10日ほど仕事を休みたいと申し出たところ、「そんなに休まれるくらいなら他の人を採用する」と言われてしまいせっかく慣れてきた仕事も辞めざるを得なくなりました。
その後、子供の病気は完治し、私も再就職先が決まりました。就職した先は看護師さんを対象としたセミナーを主催する団体です。私は事務職として、経理仕事や総務仕事の傍らセミナーの資料作成やセミナー当日の受付などをしていました。その団体で働き始めて3年が経った頃、看護師のみなさんと一緒にセミナーを聴いているうちにぼんやりと看護師に対する憧れが芽生えてきました。ぼんやりとしたその憧れをセミナーに来ていた看護師さんとの雑談の中で話してみると、ある制度を教えて下さいました。
みなさんはこの制度をご存知ですか?厚生労働省の政策で都道府県が実施する、母子家庭や父子家庭の経済的自立を支援するための就業支援制度の一つです。厚生労働省のホームページには詳しい概要も記載されていますが、要約すると母子家庭の母や、父子家庭の父が特定の資格を取得するために養成学校に1年以上通う場合、その間の生活費を修業の全期間(上限は3年間)補助してくれるという制度になります。
特定の資格とは主に、看護師、理学療法士、介護福祉士、保育士、歯科衛生士などです。このような資格を取得するためには学校に通わなくてはいけません。しかしひとり親が学生になるということは、世帯の収入がゼロになるということ。安定した職業や収入には憧れるけれど、日々の生活も何とかしなくてはいけないひとり親にとってはありがたい制度ではないでしょうか。
私はこの制度の名前を聞きすぐに具体的な内容を調べ始め、市町村民税非課税世帯には月額10万円、課税世帯には7万500円の支給があることを知りました。
当時実家にお世話になっており実母も正社員として働いていたため、私は実家に住んでいると7万500円しか支給されません。また同様の理由により、児童扶養手当も支給されていませんでした。独身時代の貯金があったため学費は何とか工面できそうでしたが、毎月の生活費が支給額7万500円といつまで払い続けてもらえるかわからない養育費3万5000円の合計11万円弱では、3年間続けていける自信がありませんでした。そこである方法を考えました。実家を出るという選択です。
実家を出て看護学生になれば市町村民税非課税世帯として毎月10万円の支給、それに加えて児童扶養手当の受給と養育費で約18万円程の生活費を得ることができます。もちろん、実家を出れば家賃や光熱用水費等の生活費は必要になりますが、実家にいても家にお金を入れているのだから贅沢をしなければ外に出るほうがやりくりは楽なのではないかと考えました。公的制度の恩恵を余す所なく受けることに対する申し訳なさもありながら、自立していくために今は甘えさせてもらおうと、看護学校を受験すること、受かったら実家を出ることを決めました。
看護学校には3年制の専門学校や短大、4年制の大学の看護学部などがあります。私は学費の安さと3年間という期間から市内の総合病院付属の看護専門学校を受験することに決めました。
ほとんどの看護学校では社会人入試が行われています。私も社会人入試を受けることにし、受験項目である一般常識と論文の勉強を始めました。社会人入試は倍率が高いと聞き、一般常識は公務員向けの問題集を書店で購入し独学、論文は添削をしてくれる通信教育を受けました。
私が受験をした年は、だいたい50人程度の社会人枠受験者がいたように記憶しています。実際に合格したのは13人程でした。ホームページに掲載された自分の受験番号を見つけたときの喜びはあれから9年経った今も忘れられません。
私が通った看護専門学校は1学年1クラス、40人の生徒数でした。そのうち社会人は13人で、シングルマザーは私を含め3人です。年齢層も幅広く、高校を卒業したての18歳から最年長は42歳まで。男子学生は5人いました。元々、人付き合いは得意なほうでしたので、友達はすぐにできました。久しぶりの学校生活は楽しい反面、勉強は本当に大変でした。
看護専門学校は9時から始まり、16時半までみっちりと授業が詰まっています。毎朝7時半に自転車に子供を乗せて20分かけて保育園に送り、そこから30分近くかけて学校へ通学します。授業が終わり保育園にお迎えに行き、帰宅するのは19時頃でした。そこから夕食の支度や入浴を済ませ、子供を寝かしつけてから家事を片付け、ようやく自分の時間が作れるのは22時以降です。課題は毎日のように出ますし、授業の中で小テストが行われることも多いです。また授業内容も多岐に渡り、解剖生理学から関係法規、各診療科ごとの疾患の特徴や看護方法など、様々なことを覚えていかなくてはいけません。22時から勉強を始め、就寝は毎日深夜1時を越えました。実習中は毎日の看護記録を詳細に記入し、問題点や改善点を調べてレポートにまとめます。
私は元々勉強すること自体が嫌いではなかったことや、負けず嫌いで完璧主義の性格もあり、看護の勉強にのめり込んでいきました。定期テストの成績も上位をとれるようになり、レポートなどの提出物も高い評価を得ることができました。
1年次の最後に約1ヶ月に渡る実習がありました。実習期間中は毎日2、3時間の睡眠が取れれば良いほう。時には徹夜をすることもありました。大変ではあったものの、この時は楽しいという気持ちのほうが勝っていたため多少の無理は仕方ないと思っていました。実際の患者さんとのやり取りの中で学ぶことも多く、この実習で看護師の仕事に対し職業としての安定や収入だけでなく、仕事内容自体に今まで以上にやりがいを感じるようになりました。
1ヶ月間の実習が終わり、グループごとに実習の成果について発表をする段階に入ったある日のことでした。通学中に強烈な目眩に襲われ自転車を漕ぐことができなくなりました。慌てて学校に事情を説明する電話をかけると、付属の総合病院にかかるようにと言われました。目眩が落ち着いたところで病院へ行き様々な検査をしてもらいましたが、原因はわかりませんでした。その日から毎日、目眩や吐き気、頭痛などの症状が現れました。担任に事情を話し、病院の検査では異常がなかったことを伝えると、もしかすると精神的なものかもしれないから一度心療内科を受診してみてはどうかと言われました。心療内科と聞くだけで抵抗がありましたが、このままでは勉強どころか日々の生活もままなりません。仕方なく受診した心療内科で告げられた病名は「うつ病」でした。
ちょうど春休みを迎える頃で、数日休んでもそれまでに欠席をしたことがなく、成績も問題がなかった私は1年次の過程を無事終了し進級できることは決まっていました。しかし、日に日に具合は悪くなる一方。担任は1年休学して体調を整え、また復学すればいいと言ってくださいましたが、1年で体調が戻る保証もなく、ましてや休学中の1年間は高等職業訓練促進給付金が停止になってしまいます。私が具合が悪くなった影響か、この頃は子供も体調を崩すことが増えていました。このままでは先が見えないと思い、私は悩んだ末に自主退学を選択しました。看護の仕事にやりがいを感じ始めた矢先の出来事に、残念な気持ちと自分自身に対する苛立ちや怒りはしばらく消えることはありませんでした。
その後、しばらくの間きっちりと休養し生活を整えた結果、1年もかからずに私のうつ病は軽快しました。うつ病というと原因の多くはストレスだと言われますが、ストレスには精神的なストレスだけではなく身体的なストレスもあることを医師から聞きました。私の場合、極度の睡眠不足と疲労が原因となりうつ病を発症した可能性が高いとのことでした。
あれから8年。現在は看護とは全く関係のない会社に就職し、現在5年目となります。今の職場は環境もよく、看護師ほどではありませんが収入も安定しています。今の仕事や生活に不満はありませんが、今でも学校を辞めずに続けていたらどうなっていたかなと想像することはあります。当時の同級生たちは無事に看護師となり様々な病院で働いていて、今でも友達付き合いがあります。学生生活は苦い経験になりましたが、その経験や看護学校で出会った人との繋がりはかけがえのないものとして自分の糧になっていることは確かです。
失敗してしまった私がこれから看護師の資格取得を目指すシングルマザーの方に対しアドバイスをするのはおこがましいですが、もしチャレンジしようという方がいたら是非頑張ってみて欲しいなと思います。高収入だけにメリットを感じて目指すには苦労の多い資格ですが、学び始めれば収入以上に看護師のやりがいを感じられると思います。ただ、絶対に無理だけはしないように。私の経験が少しでもお役に立てれば幸いです。
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