離婚歴12年のシングルマザー。現在は反抗期を迎えた娘に手を焼きつつ、仕事も趣味も恋も楽しんでいます。
うつ病という言葉を誰でも知っているような時代になっても、当事者がこの言葉を口にするのは勇気がいることではないでしょうか。厚生労働省が3年ごとに行っている「患者調査(平成26年度版)」の報告によると、うつ病の患者数は111.6万人。15年前の患者数と比較して2.5倍以上になっています。最新の平成29年度の調査結果が公表されるのは平成31年3月31日。この記事を書いている段階では最新版のうつ病患者数は分かりませんが更に増えているのではないかと思っています。
私は8年前にうつ病の中でも特殊な躁うつ病(双極性障害)との診断を受けました。8年経った今、日常生活も社会生活も問題なく送れるようになりましたが、完治したかと尋ねられたらすぐに「はい」とは答えられません。骨折や腫瘍のように目に見える病ではない精神疾患は、完治したと判断することが難しい病です。事実、私は今でも心療内科に通院していますし医師から完治したと告げられた事もありません。それでも問題なく毎日を送ることができているのは、自分で自分をコントロールする術を覚えたことや周囲のサポートの賜物です。
「私はうつ病です」
今回は勇気を持って、自分の体験をお話したいと思います。
シングルマザーになって3年目の春、私は高等職業訓練促進給付金を利用して看護学校へ入学しました。入学するまでは女性の職業としては高収入であることに一番の魅力を感じていましたが、学び始めると看護の仕事自体に魅力を感じるようになりました。元々好きな事に夢中になりやすく完璧主義なところがある私は、日に日に勉強にのめり込むようになりました。
学生生活はとても忙しく、子育てや家事をこなしながら勉強時間を確保するのは大変でした。当時、子供と二人で生活をしていたため日中は子供を保育園に預け自分は学校へ、帰宅後は家事全般を済ませ22時頃から自分の勉強をしていました。夢中で勉強をしていると気がつけば深夜1時、2時ということもよくありましたが、不思議なくらい翌日の授業で眠くなることはありませんでした。1年次の最後に行われた約1ヶ月間の実習期間中、1日の睡眠時間は平均2時間程度でした。徹夜明けの朝ですら元気に登校することができましたし、その状態を調子が良いとすら思っていました。
実習が終わりしばらく経ったある日の朝、通学中に強烈な目眩を起こした私は慌てて病院に向かいました。色々な検査をしましたが原因となるような病気は見つかりませんでした。担任にそのことを報告すると、精神的なものかもしれないから心療内科に行ってみたらどうかと言われました。当時の私は、心療内科は精神疾患の人が行く病院だと認識していたため自分の症状は対象ではないと思っていました。気は進みませんでしたが、とにかく早く治したい一心で自宅近くの心療内科に受診をしてみることにしました。
初めて向かった心療内科では名前を呼ばれるまでに4時間かかりました。ようやく名前が呼ばれ、目眩がすることと看護学校に通っていることを伝えると「看護学校は大変だからね、ストレスがあるんでしょう」と言われました。精神的なストレスを全く感じてはいなかった私は否定しようとしましたが、その前に医師から告げられたのはうつ病という診断でした。問診を始めてから5分足らずで下された思いもよらない診断名に私は愕然としました。納得がいかないような気持ちのまま帰宅し、インターネットで処方された薬の名前を調べてみると抗うつ薬と睡眠導入剤でした。ここで初めて自分がうつ病になってしまったのだという実感が湧いたように思います。
何日か学校を休んだまま春休みを迎えました。それまでの出席率や成績に問題がなかったため進級できることは決まっていましたから、どうにかして春休み中に体調を戻さなくてはいけないと思いました。しかし、処方された薬を飲み始めてから更に体調が悪くなり勉強どころか日常生活もままならなくなりました。困った私は、春休みの間だけという約束で実家にお世話になる事を決めました。その頃には布団から起き上がることすらできず、トイレにも行けず、食事も全く摂れない状態に。そんな私の様子を目の当たりにした母が、これは本当にうつ病なのかという疑問を抱き別の心療内科に連絡をとってくれました。その心療内科は初診が3ヶ月待ちということでしたが、電話で母が熱心に話をしてくれたため緊急性があると判断されすぐに受診することができました。
次に受診した心療内科では医師が時間をかけて症状を確認して下さり、現在のことだけでなく過去の出来事や状況まで詳しく聞かれました。私は最初に受診した心療内科では言えなかった事を強く訴えました。精神的なストレスはありません、今の私は自分じゃないです、調子が良かった以前に戻りたいと。私の言葉に対し医師は「以前のあなたの方が普通じゃなかったんですよ」と言いました。うつ病は精神的なストレスだけではなく身体的なストレスが引き金になって発症することもあること、身体的なストレスの代表は睡眠不足であることを教えて下さり、私の症状はうつ病の中でも特殊な躁うつ病の可能性が高いことが告げられました。
躁うつ病とは極端に元気で調子が良く活発になる時期(躁状態)と、憂うつで無気力な時期(うつ状態)を繰り返す病気です。人間誰しも気分の浮き沈みはあるものですが、躁うつ病はそのような浮き沈みが自分ではコントロールできない程に極端で、日常生活や社会生活、人間関係などにも影響を及ぼしてしまう病。看護学生として過ごしていた毎日は、私にとっては躁状態で今何もできない状態がうつ状態であると説明を受けました。躁うつ病患者が抗うつ薬を飲むと症状が悪化することがあるそうです。前回の病院で処方された薬を飲んで悪化していることを見ても、私は躁うつ病である可能性が高いということで、新しく躁うつ病の薬を処方されました。自宅に帰り、躁うつ病についてインターネットで調べてみると看護学校に通い始める以前の自分の人生も軽度の躁状態とうつ状態を何度も繰り返しているような気がしました。それまでは気分屋であるとか飽き性だと思って気にしていなかった過去の自分のエピソードが、ネット上で見かける典型的な躁うつ病患者の行動に当てはまるものばかりだったのです。最初のうちは病気として受け入れることができなかった私も、自分が躁うつ病であることを受け入れるようになりました。
躁うつ病の薬を飲み始めると起き上がることができない程の体のだるさや目眩が少し治まりました。しかし身体的な苦痛が減るとすぐにやってきたのは不安感です。インターネットなどで調べると躁うつ病は治りにくいとあり、春休みが終わりに近づくにつれて学校に行く事ができるのか不安になってきました。少し治ったとはいえ、まだまだ外に出られるような状態ではなく家事すらできない状態。毎日ベッドの中で考えて考えて、私は看護学校を退学する事に決めました。躁うつ病になって一番辛かったのはこの決断をした時です。
学校の先生方からは1年休学して復学すればいいと言われました。しかし自分の性格上、復学しても同じ事を繰り返してしまうのではないかと考え、とにかくまずは躁うつ病を良くすることだけを考えようと決めました。その決断を私の母も理解してくれてサポートすると言ってくれました。子供のためにも家族のためにも、絶対に元気な自分に戻ろうと心に決めます。
看護学校を退学した私は、子供と二人で住んでいたアパートを引き払い実家に戻りました。実家には私の母と祖父母がおりましたから体調が悪い時に子供の面倒をみてくれる人がいることは心強かったです。私はきちんと薬を服用することと、きちんと寝ることを心がけました。病状は一進一退で、うつ状態が治まると躁状態になってしまいます。躁うつ病患者は躁状態の時ほど調子がいいと感じてあれこれ活発に行動をするという特徴があります。実際、私も躁状態の時には思い立って突然夜中に車を運転して他県まで朝日を見に行ってしまったり、夜中に部屋の大掃除を始めてしまったり、必要のない買物を次々にしてしまったことや、もう治ったと言い張りバイトの面接に行ってしまったこともあります。自分では気付きにくい躁状態は家族が指摘してくれました。そしてその度にうつと躁がちょうど良いバランスになるように主治医と相談しながら薬の量を調節しました。
日常生活が問題なく送れるようになったのは診断を受けてから10ヶ月後。その頃には短時間のバイトを始めるようになりました。最初は不安でしたが、服薬と睡眠時間をきちんと管理していたせいか仕事も問題なくこなすことができました。うつと躁の良いバランスを確実に保てるようになるまでには1年弱かかりました。それから2年かけて薬の減量を行い、診断を受けてから3年半後に躁うつ病の薬は必要なくなりました。
気がつけば今年で診断から8年が経ちます。今でも月に一度は通院して主治医のカウンセリングを受け、睡眠導入剤のみ処方していただいています。薬をやめてから今までの間に何度か危ないな、と自分で自覚するようなことはありましたが、寝込むようなうつになることも、突拍子もない行動をするような躁になることもなく過ごせています。再発しないための心がけは二つ。一つは無理をしないこと。もう一つは毎日決まった時間に寝ることです。この8年の間に自分自身の考え方や性格に向き合い、どうしたら自分自身をコントロールできるのかを何度も考えてきました。私は先ほど述べたように好きな事は寝る間も惜しんで夢中になってしまう性格を持っています。それだけ夢中になれることは決して悪いことではありませんが、私にとってその性格こそが躁うつ病再発の危険因子です。将来を考えバイトではなく正社員としての就職を考えた時、私は好きな事を仕事にするのは辞めようと思いました。
現在は建設会社の事務員として正社員で働いています。仕事にやりがいはありますし、満足もしていますが「好きな事」とは全く別の仕事です。好きな事を仕事にしない代わりに仕事以外の時間を充実させることにしました。躁うつ病になった後、ふとしたきっかけで写真が好きになりカメラを購入しました。休日は子供と一緒に色々な所へ出かけて行き、風景や思い出を写真に残しています。写真を撮るようになってから季節の変化に敏感になり、カメラを片手に散歩をして四季折々の花を撮るようになり、その散歩がきっかけとなりウォーキングも始めました。私にとってこの好きな事と仕事を切り離す考え方は合っていたようで、今では仕事も趣味も含めて日々が楽しいと思えるようになりました。こうなるまで支えてくれた子供の存在や家族には感謝してもしきれません。
みなさんも仕事に育児に忙しく過ごしているでしょうし、一人での子育てや金銭面への不安など、精神的なストレスも多くかかる環境にいる事と思います。頑張らなくてはいけない気持ちは私も同じですが、お互いに頑張りすぎず、無理をし過ぎず、子供のためにも自分自身のためにも健やかでいられるように願っています。